40を過ぎて我が子を授かった時のこと

出産を待つ病院の待合室 育児

2月9日、かき揚げうどんを食べている私のスマホにLINEが届いた。 「いまからきて」

近所の讃岐うどんチェーン店でかき揚げうどんを食べていたところだった。2、3日前から出産のために入院していた妻からのLINEだ。陣痛の促進剤を利用することから、その日はいつでも病院に行けるよう待機していたが、初めてのことに緊張を覚えた。「すぐに行くから」とLINEを返し、かき揚げうどんもそこそこに病院へ向かった。

病院に着くと、妻は分娩室にいたが、まだ痛みも遠く、会話することもできた。

だんだんと痛みが激しくなってきた妻は、苦しそうな表情で私に腰をさすってくれという。私はできる限りのことはするものの、やはり苦しそうな妻が気がかりで、とにかく早く無事に生まれてくれと祈るのみ。胎動音が聞こえる。待望の我が子はもうすぐそこで誕生の時を待っている。

私たちが結婚したのは令和元年。お互い晩婚だったにもかかわらず、そのうち子供ができるだろうとお互い自由にやっていた。しかし妻が40代を迎えるとき、不妊治療を決心。仕事をしながらであったが、妻はマメに通院・投薬し、ついに妊娠がわかった時には、うれしいやら心配やらいろんなことが入り混じった感覚だった。一番心配だったのは妻の高齢出産のこと。また私も45歳で、子が大きくなるまで元気に生きていられるかということだった。妊娠中はお互いに気持ちが不安定になることもあったが、ついに予定の2月を迎えたのだった。

胎動音が大きくなり、担当医も頻繁に見に来るようになった。いよいよなのかもしれない。とにかく妻が痛がって、私には気を失ってしまうのではないかと見えた。耐えられずナースコールをすると、担当医と数名の看護師さんが現れた。ついに出産の準備に入る。呼吸法を行う妻。我が子の頭は覗いたそうだが出てこない。3500グラムを超えていたこともあったのだろうか、いろいろと手を尽くすのだがやはり出てこない。妻はほとんど意識がないように見えた。

担当医が私に叫んだ。 「緊急帝王切開をします。人命優先で行いますので、書類とかは術後でお願いします」

背筋の凍る思いだった。いろいろなことが頭をよぎる。帝王切開をすると第二子まで時間が必要、妻が望んでいた二人兄弟はかなわないかもしれない。でも今はそんなことを言っている場合ではない。とにかく妻と子供が無事であれば、私はほかに望むものなどなかった。

「お願いします。先生、妻を無事に返してください」

私の言葉に返事をするや否や、妻は手術室に運ばれていった。

「お父さんはここで待っていてください。手術が終わったら声をかけます」

そういわれて残された待合室。黙って待っていられるわけがない。私はウロウロとしながら落ち着かなかった。もしかしたら私のようなものが子供を授かろうなんて、大それた間違いだったのかもしれない。もう少し正しく生きていれば、難なく子供を授かることができたかもしれない……いろいろなことが頭をよぎる。待てど暮らせど、永遠にここから解放されることはないのではないかと思った。

「お父さん、中へ」

そういわれて自動扉の中に入る。目の前には保育器に入った男の子がいた。生まれたばかりの、まだ赤い、元気な赤ちゃんが横たわっている。

「お父さん、よかったですね。なんの問題もない元気な男の子です」

涙で前が見えない。私は保育器にしがみついて崩れ落ちた。

「手も触れますよ。声もかけられます」

とっさに私が言ったのは 「こんにちは。どうもありがとうございました」

我が子の手を握り、それを伝えるのが精いっぱいだった。

数時間後、術後すぐには面会できなかった妻からLINEが届いた。

幸せそうに我が子に添い寝する妻の画像が送られてきた。

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